18日は一人
何度も 何度も 歩いた道を
廻った。
銀閣寺電停前は 今は北白川今出川となっている。
それはその通りで、市電が無くなっては、電停前とは言いにくい。
旧銀閣寺電停前等と言っても其れこそ意味もない。
アイスキャンディー屋で
大文字焼きを一つ袋に入れて貰って、道々頬張りながら進み出でて行く。
大文字焼きという言い方は、店に寄るものか、地方に寄るものか。
富山では、大判焼きと言っている。
関東なんかでは、今川焼と言うのだそうだが、大文字焼きの方が私には、しっくりくる。
その言い方「大文字焼き」は、8月14日の「送り火」からの命名には違いないが、
送り火を「大文字焼き」と言っては京都人に総スカンを食う。
「大文字の送り火」もしくは「五山の送り火」なのである。
そうして北白川疏水を行く。今は、食堂「大銀」の前からもう「哲学の道」との表示が在る。
けれども、その「大銀」の前あたりは空き地が在って、


そこに屋台が出ていた。
テントが確か三張り在って
豚骨ラーメンが売りのラーメン屋
おばちゃんのおでんがぐつぐつと浸かっていたあの一杯飲み屋
そしてその隣にうどん屋が在った。
うどん屋はやはり、きつねうどんが旨かった。
紫野に在る大徳寺の今は有料駐車場になっている所にも屋台が在って、
此方は本当の移動式の屋台で
銭形平次に出てくるあの屋台そのものだった。
此処のきつねうどん、其れを食べたいがために生きていた時期が在る。
四回生の時には、もう、その疏水の入り口に在った
おばちゃんのおでん屋もおっちゃんのうどん屋も
妙な臭い、そうガス燈のアセチレンガスの匂いがするラーメン屋も無くなっていた。
屋台がアチラこちらで締め出されたのは、万博の影響と言えた。
結局その銀閣寺前電停から西に一筋入って南に下がった所に一軒家の店を出した。
おばちゃんにずいぶん世話になったことも在って、その店に出かけてみると、
隣がうどん屋に成っていて、
「ああ、おっちゃんとおばちゃんは夫婦やったんか。」
その時初めて気がついた。
そういうと隣のおっちゃんは何時もの様に口数少なく、下を向いてしまう。
「一福亭」と名付けられた、その店は
でも、屋台の様には人はこなかった。
うどん屋のおっちゃんはもっと暇そうになった。
おでんの具にコロ(鯨の脂身)があって、最初は馴染めなかったが、
それでも一番安くて、腹ごなしが出来るものだから、食べ続けていく。
終いには、コロがないと
口寂しくて仕方のないようになってしまった。
大根とコロで十分満腹になる。
薄暗いテントの中でのコロ
もう一度食べてはみたいと思う。
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